もしもし

今ちょっとだけだいじょうぶ?

三分咲きのニューヨークから帰って

もやもやした話があるのでネットの海に投げることにしました。自分で書いて整理しようと思ったら思ったより随分長くなってしまった…!あらかじめ書くと、これは注意喚起が目的ではなく自分の気持ちの整理です。でももしたまたま目にした人がいたら、ニューヨークがどんな様子だったか、そしてきっと日本でもこれから似たことが起きると思っている私からの祈りみたいな気持ちが伝わったらいいなと思います。

前半は留学していたニューヨークから帰る飛行機の中で日記のつもりでメモしていた話。ブログにするつもりはなかったので修正してますが煩雑です。後半は帰国してから、こらえきれなくなった話。






3月11日水曜、突然留学先より翌日から3月末までをオンライン授業にするとの連絡が届く。4月以降も落ち着くまではオンライン授業にすると連絡が来た。
その時点で、友達2人と計画していた春休み中のオーランド(マイアミそばのフロリダ州)への旅行をキャンセルした。すでに以前キャンセルするかどうかを話したことがあったくらい、ニューヨークにはもう不穏な空気が漂っていた。フロリダ州ではアメリカの中でも早期に感染者が見つかっていた。それでも飛行機代の返金はなかった。だから代わりに、他の何人かも誘って、車で行ける距離でキャンプに行こうと予定を変更した。

その時点では「春休みが長くなるなあ」という気持ちが2割で、実はあとの8割はもうすでに帰国の選択を迫られることをどこか覚悟していた。ただなんとなくそうなるのは4月ごろだろうなと思っていた。だからそのキャンプ場のインスタアカウントを眺めたり、友達と計画を立てつつご飯を食べたりして、とても楽しみにしていた。

しかし15日にはレストランの運営停止命令や公立小学校の休校命令が出て、ブロードウェイや美術館など主要観光地は続々と閉館をしていた。
翌3月16日月曜、突然、期末までのオンライン授業開催のメールと、退寮命令が出た。退寮は2日後の18日までにというものだった。あまりにも突然だったけれど、覚悟はあったので私はもうなるべく迅速にその退寮の指示に従うつもりだった。それでもやっぱり名残惜しさやどちらの国が安心できるかで悩んだけれど、結果的にその日のうちに帰国のフライトをとった。もちろん出来ることなら帰りたくないが、感情で動いたらもう文字通り死ぬか、それに近い恐怖を味わうなと思った。キャンプのチャンネルで帰国の予定を報告し、他の子の提案もあり、自然な流れでキャンセルをした。全額返金だった。
その頃すでにニューヨーク州カリフォルニア州など感染拡大が早かった他の州の状況を追っていて、それ故に間違いなく近い時期に最寄りから日用品が消えたり、外出禁止命令も出るだろうと予想していた。実際にこの日に48時間以内に外出禁止命令を出すか検討しているという市長からのアナウンスがあり*1、その日はスーパーに長蛇の列ができた。国境を閉じてる国も多くある中で、いくら日本政府がのろまだからと言え、或いは力関係がある中で日本からは制限できないと言われているからとはいえ、アメリカからのからの入国制限も、時間の問題で何かしらの動きが出ると推測していた。実際、完全な入国禁止にはなっていないが、入国制限がついた。

キャンプの予定を立てていた頃、帰国を覚悟していたと述べたのは事実である。ただ今思えばそれは完全な希望的観測で、「そう事態はすぐに変わらない」と思ってしまっていた。「様子見」というニュアンスの言葉を日英たくさん使った。
しかし現実では連日速報が続々と入り、状況が刻一刻と悪化していた。必死にニュースを追った。現地の情報を知るための英語の報道は、当然馴染みない単語が出てくるので調べつつ読んでいた。英語の語彙が増えたのは今回の悲劇の数少ない産物である。でもどんなに情報収拾をしても素人には事態がAかBどちらになるかの可能性なんて、こんな未知のウイルスを前に想像はできても全く当てにならない。少しでも事態が悪くなる可能性があるのならその被害を最小化するための選択をとっていかないといけないと思った。此の期に及んで考えるべきは、正しい情報を見極めること(できるだけ国政メディアを信じたり複数社の記事を疑いを読んだ)、感染リスクをできるだけ低くすること(とにかく手洗い消毒できればマスク)、そしてもはや、感染した場合のことを考えること。この最後がポイントで、もうかかるもんだと思って生活していた。だから、もし留学生のための保険しか持たない日本人の私が米国で感染した場合と、国籍があり母国語の通じる日本で感染した場合を、重症化の可能性を含めて考えれば、圧倒的に後者の方が実務的にも精神的にも安全である。

そういうわけで5月のために抑えていたチケットを振り替えて帰国した。随分と空いた飛行機で、思ったよりも、うんと早く成田に着いた。初めて長時間の飛行機に友達と乗ったのが心強かった。


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と、ここまでが、書き留めていたメモを帰りの飛行機で整えたもの。
そして日本帰国後の今だけど、自主的に隔離生活をしていて、兄弟以外両親にも会っていない。「自主的」と言えど、帰国して数日後に日本政府が米国からの入国者に対して14日間の隔離を求める発表をした。


帰国してからショックだったことは、日本の危機感の薄さだった。もちろんずっとこもっているので、主にはメディアの報道と、SNSの様子からしか分からないけれど、私が感じる限り異常に楽観的だと思う。確かに私がニューヨークから帰国しているから、人並み以上の緊張感があると思うけれど。花見の話題とそれへの批判を見ると、私が最後に見た桜は、ニューヨークを経つ前日に散歩した時の三分咲きくらいの桜だったななんて、ぼんやりと思う。一番モヤモヤしたことは、近しいグループが大人数で渋谷で飲み会を開いていたことだった。居酒屋で十数人って、 密着密集密接の3つが揃っているクラスター感染のリスクが最も高いところって、散々言われてるよね?*2まさか誰も知らないほどリテラシーないの?知っていて平気でへらへらと酔っ払えたの?3次会まで?全員自分のことしか考えられない人たちなんだと、考えれば考えるほど悲しくなったし、信じていた人たちなのですごく裏切られた気分だった。


その件で私のもやもやが顕在化された。相手から見れば、私の方が「大げさでおかしなことを言っている」「まあニューヨークはヤバイからそう思うよね」と言われて仕方ないのをわかっている。その意見の方が正しいかもと、冷静に思っている。でも実際、この数日で日本、特に東京都の感染者数は昨日までで日に日に伸びつつあり、今日だけで2倍以上増えた*3。確実に感染源が分からない人も増え続けていて、悲惨な急増のグラフは描かれ始めていると思う。私は全くの素人だけど、今まで日本が取っていたクラスタ感染を防ぐ作戦も通用しなくなりつつあるのではないかと思うし、世界からの流入の第二波が来るというのは私含めた中長期滞在者の動きを見れば本当に来ると思っていて、かなり真剣に、一人ずつが考えて動かなければ、外出禁止、首都閉鎖は大いにありえると思う。




私はニューヨークを外出禁止令の発令前に出たけれど、まだ滞在していた間の全てのレストランが閉まった日、沢山のことを諦めた。本当に沢山。



現地生の一番仲良しの子との初めての旅行。
マンハッタンの美味しい日本食を探しておくから、一緒に行こうと台湾の子たちと話していたこと。
じゃあ台湾料理も一緒に行こうと話したこと。
ルームメイトの同期とシェアハウスでJapanese Izakayaを開くこと。
友達のシェアハウスの地下で映画を観ること。
その友達とよくわからないストリップバーに行くこと(?)。
セントラルパークでピクニックをすること。
日本が好きな現地生おすすめの、桜が綺麗なところに満開の頃一緒に出かけること。


これは実際に話していたことだけで、個人的に考えていたことはこれの何倍もあった。この全部が、もう実現できなくなってしまった。現地で仲良くなれたみんなとは、それまで毎日会えたのに、もうこれからの人生でどんなに多くても数回しか会えないかもしれない。
本当は、これを書いていても涙が溜まったりするけれど、ニューヨークのみんなは誰も泣かないでまた会おうね、と言い合っていた。バイバイ言えた子の方が少ないけどさ。


それともちろん、授業のこと。もう書ききれないから多くは触れないけど、学期の半分をちょうど過ぎたところで大学に行けなくなったことは本当に悲しかった。学期の後半は、前半以上にタフになることを覚悟していたけど、大学院生になって、異国でたくさんの刺激の中で物を作ったり、考えたりする生活ができていることが本当に本当にたのしかった。私は学部の頃から、作っているその時は「夢中になれている」みたいなかっこいいもんでもなくて、ただいつも必死で焦っていると思う。でも作業の画面から離れてコーヒーを買いに行く間に、ふと、「ああ、楽しいなあ」と思うような、大げさに言えばじんわりとした喜びを感じるのを、自覚している。自分喜んでるなあと思う。だから学期の後期にあるはずだったそういう喜びの全ては、日本からのオンライン授業参加で代替できるものレベルにまで抑えられてしまった。実技を伴う大学で、どうがんばってもやはりそれは縮小されるものだと思うし、何より心が全然着いていかない。


本当は、こんな風にできないことを数えるんじゃなくて、こうなったからこそできることを数えようとなんとか前を向こうと思っているんだけれど。




「外出禁止」の文字だけでは、もしかしたら想像ができないかもしれないけど、ただ不便でちょっと我慢すればいいだけじゃなくて、私の経験だけでも悲しいことが山ほど容易に起きた。何より、首都閉鎖の頃には医療崩壊が起きる可能性は少なくなくて、おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんがいなくなるかもしれない。繰り返し、私はド素人で専門外の小娘だけど、東京の状況はニューヨークのおよそ一週間前な気がしていて、今のニューヨークの様子を見ると医療崩壊の寸前と言われ、人工呼吸器や病床確保に奔走していて、かつピークは2~3週間後という。医療崩壊。それは私がニューヨークで経験したこと、目にしたことより遥かに悲惨で、そんなことが起きたらどう耐えればいいのか分からない。そして今回の状況は、もちろん日本政府の対応や発祥となった地域の文化のことには苛立つけれど、でも本質的には誰のことも責められない。目に見えない邪悪なウイルスが原因で世界がこんなことになってしまった。だから、怒りや虚しさをどこにぶつければいいのかわからない。そして、いつ収束するのか分からない暗くて大きい不安を、周りの全員と共有しないといけない。



飲み会に行った人たち、たいしたことないと思って出歩いてる人たち、本当に想像できないんだろうか。
自分が見えない刃を何本もむき出しにして歩いているかもしれないこと、自分自身を他に例のない複雑で消化しにくい深い悲しみが襲うこと。


でもやっぱり、私は過剰に意識してしまっているところがあると思う。これは自分の悲しさを、誰かにわかってほしいだけな気もする。



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ここまでほぼ殴り書きで、重たい文章だけど、私は今のところ健康で、コロナウイルスの情報収拾ばっかしてるわけでもなく、映画見たり友達と電話したり勉強したりごろごろしたりしてます。そろそろ宿題やらないといけないんだけどさあ。 もし暇を持て余している私の友達がいたらおしえてください!たのしい話をしたいので、いつものわたしで待ってます