もしもし

「あの、今ちょっとだけだいじょうぶ?」

お星さまの話

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今年の5月に、祖母が亡くなりました。
“聡明”という言葉が似合うような、朗らかで、凛々しく、賢く、美しい、女性として憧れるわたしの「ばあば」です。





突然のことではなくて、何度かお見舞いには行けたのだけれど、やっぱり生まれてからずっといたひとがいなくなってしまうというのは、どうしてもかなしい。未だひょんなことで思い出してしまって、するとすぐ目に涙が溜まって、一人きりの時であればもう止まるのを待つしかないくらい、19にもなって情けないくらいめそめそしてる。わたしは今でも、いつだって、早くばあばに会いたい。もう会ってお話できないということが、まだどうしても信じられなくて、ずっと子どもみたいに「いやだ」と言い続けてる。小さい頃から、お別れが苦手で嫌で仕方なかったけど、どうやら今もまだそうみたい。

すごく特別な思い出があるわけでないけれど、小学校までは隣のおうちに住んでいたから、妹も一緒によく遊んでもらっていて、おやつを食べたり、一緒に考えた遊びをしたり、お庭の壺のメダカを覗いたり、季節のお花を教えてもらったり。休みの日はよく家族とじじばばで外食をしたりして、道中の車やご飯を待ってる時間のことも覚えてるなあ。そう、つまりおばあちゃんっ子だったのです*1。そんな日常を思い出せばきりがないのだけれど、どれもあたたかい。

中学に入って引っ越してから、ばあばとは離れて、その間わたしは学校に行けなく(行かなく?)なったり、中高一貫を抜けて変わった高校に入ってみたり、美大を目指したり、ちょっと色々あったりもして。でも毎年お正月に親戚みんなで集まったり(真ん中にいるのは、ばあば!)、時々遊びに行っていつも報告しては励まされて、「またいらっしゃい」とにっこり手を振ってくれました。だからばあばは、「ちゃんとがんばってるよ」を伝えられる相手でした。

わたしのすきな歌に「叶わないものばかり数えてしまうけど」という歌詞があって、つい自分も、この一年で作った作品を見てもらいたいし、活動のあれこれのお話をしたいと思ってしまう。でもそれはもう二度と叶わない。だけど、入りたかった大学に合格したこと、入学したこと、一人暮らしまで始めたことは、きちんと報告できたから、そのことを喜ぼうとおもって前を向いてる。「きっと見ててくれるよ」と支えてもらった言葉を信じてます。



この一年、ばあばに恥じないような女の子でいようと決めたけど、なれていたかなあ。もう年明けたらめそめそなんてしたくないけど、だめかもなあ。やっぱりまだ、信じられていないから。
年の瀬、心に閉まっておこうか、でもちょっとだけ聞いてほしいようなお話でした。

*1:もうひとりのおばあちゃんも、小学生の時に亡くしていますが、とっても優しいくて大げさなまでに可愛がってくれるチャーミングなおばあちゃん!大好きでした。